もう無理…。そんなこと言わないで、運命は乗り越えらえる壁しか訪れません

「運命には試練ばかりで何のために生きているのか分からなくなる時がある。」
この問いにお答えすることは簡単です。そしてそれが試練だなんて、逆境のような状態でないことも説明できます。これから説明させて頂きますが、最終的に試練ではないと認識されるのは、紛れもなくあなた自身です。そのための知恵となりましたら幸いです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 221view

本当は運命には平坦な道しか存在しない

  • 本当は運命には平坦な道しか存在しない
運命には山あり谷ありなんていう状況が生きているうちは起こり続けるのだろうと思われる方や、または若いうちに山あり谷ありをたくさん経験しておけば、将来はもっと楽できると考えられる方が大半かもしれません。どちらも間違ってはいませんが正しくもないと言えるでしょう。

ではまず間違っていないということの理由ですが、人は幼い時は何も知らない無知な状態なので、これから起こることの全てが初体験と言えるわけです。だから当然、初めてのことに向き合う時は、それが山に感じたり谷に感じたりすることがあって当然でしょう。

では次に正しくないということの理由です、人は幼い時の無知は当然なので、新しく経験することを山や谷に感じてはいますが、それを経験した後は、同じような経験に対して山や谷には感じなくなります。だから経験さえすれば山や谷ではなくなることであれば、最初から本来は山や谷が存在しているのではなく、ただそう感じているだけのことであると言えるわけです。

どちら共を比較してみるとお分かりになるかと思いますが、要は感じ方一つで山に感じたり谷に感じているというのが正しく、新しいこと、未知のこと、無知なことに対する防衛本能と言いますか、そうした保守的な意識があなたにストップを掛けているとも言えます。
その保守的な意識は経験することで、もしかしたら傷付くかもしれない、苦しむかもしれないということを、憶測で事前に察知し、そのリスクを経験するメリットがないと判断した時に、山であったり谷であったりと自己評価してしまうのでしょう。
しかしこれは単なる自己評価でしかなく、また憶測の範疇でしか認識できていない部分でもあるので、本来はそこに山も谷も存在しているかどうか分からないのが事実です。
これは人それぞれ物事の見方や考え方、過去の経験の度合い、また性格なども関係するので、ある人は山に感じる出来事でも、他の人には平坦にしか感じない場合もあるかもしれません。それくらいこの存在していると思っている山や谷は曖昧で、物事の捉え方や考え方一つで、いつでも平坦にすることは可能なわけです。

ないものをある。あるものをない。と認識することは、憶測や推測を立てて物事を考えられる人間の特徴でもありますが、そこに頼り過ぎると、取り越し苦労となることもあるでしょう。
経験する前から恐れたり、またその物事を高い壁だと思い込んでしまうと、せっかく経験できること、見識や認識の幅を広げること、情操や理性を養うことのきっかけを逃してしまうことにも繋がります。

経験できる時は大いに経験すること。その経験はその時しかできないことかもしれないので、恐れず臆さず取り組んでみること。その後からでも適性があるかないかの判断をしてみても遅くはないでしょう。

運命の目標は近くにたくさん設けること

  • 運命の目標は近くにたくさん設けること
これには人それぞれ考え方があるかもしれません。
人生に大きな目標を掲げ、その大志を抱いた状態に自分を奮い立たせ、邁進するために努力するという方法と、手の届くまたは届きそうな目標をまず掲げて、それをクリアすることで成功体験を積み、次の目標に向けてのポテンシャルに繋げるという方法の二種類が、目標志向や目的意識の育み方となるでしょう。
どちらが良くてどちらが悪いということは一概には言えませんが、大抵、運命を辛く苦しいと感じる方の傾向は前者となります。

大きな目標を掲げるとその達成が最大の幸福感や充実感となるため、その途中経過にあまり幸福感や充実感を感じにくくなるでしょう。なぜなら今この瞬間にその大きな目標を明確にイメージし過ぎてしまうので、そうなるとそこに向かうべく右往左往、紆余曲折する出来事は、ただ辛く苦しいものと感じてしまうからです。
例えば、フルマラソンで途中に適度に給水所が無いとすると、走り切るまでが試練でしかなくなります。走ること自体が楽しいと思う人もいると思います。それは経過自体に幸福感を感じてるので手の届く目標と意味合いは同じになります。それとは別に、やはり体力勝負のことなので、中継地点にご褒美があることをあらかじめ知っておけば、そこまでは頑張ろうという意識を、適度に続けていけるわけです。この適度を保つため、ある距離ごとに給水所を設けて、そこまでは頑張れるだろうという、ポテンシャルを上げられる枠組みを作っておくことは必要でしょう。

そのため後者にあるように少し頑張れば達成できるような小さな目標を、至るところにたくさん設けることが大事なのです。
これは運命を辛く苦しいものだという認識を和らげる、またはなくすための大切なポイントとも言えますので、是非この機会にこれからの人生設計に対する取り組み方を見直されて頂きたいです。

本当に自分の運命を語れるのは経験した後でしかできない

  • 本当に自分の運命を語れるのは経験した後でしかできない
物事を取り組む前や経験する前に、そのことについて多くを語ることはあまり意味がないことです。こう申し上げてしまうと極端に聞こえるかもしれませんが、要はそこで語ることの結果論や仮定論は、憶測や推測の域を越えないわけで、勝手なイメージだけのフィクションドラマみたいなものです。
運命が教えてくれることは全て経験した後でしか得られないものなので、得たつもりで語る数々のストーリーに何も信憑性は生まれません。

これは運命を辛いとか苦しいと説明している方の特徴でもあり、これから起こることや関わることで、実際に何が起こりどうなっていくものなのかが100%明確でもないのに、先だって保守的になったり消極的になったり、そのイメージの世界に恐れたり苦しんだりすることは、新しくできた吊り橋を崩れるとイメージして渡れないのと同じことです。
これから経験するであろうその未知数の可能性を、自ら放棄しているわけなので、その先々で起こる数々のイベントをクリアする知恵を養うことは到底できないでしょう。

経験は偉大です。それがどんなに些細なことでも小さなことでもです。その積み重ねが運命の中の一つ一つを形作るパズルのピース部分であり、どのピースの一つが欠けても運命を明確で明瞭なものにすることはできなくなるでしょう。パズルのピースが何ヵ所か欠けている一枚の絵を見ても、どことなく不完全燃焼となるでしょうし、何となく達成感に乏しくもなるでしょう。

今の今まで人生で経験してきたことでも、まだ知識や知恵は浅いと言えます。これから経験することにもっと大きく、もっと大切な知識や知恵があることでしょう。それらが大きな知識や知恵となった時、初めて過去について語れる時がくることでしょう。でもその時には語ることに意味がないと知るかもしれません。
なぜならあなた自身が経験したこと以上に、大きな知識や知恵はないということが理解できるようになるからです。誰が上とか誰が優れているということではなく、誰もが自分にしか経験できないことなので、語ることに意味がないと悟るのでしょう。それが「運命」です。

〈PR〉風水芸人の出雲阿国が、自分が実際に開運できた風水を大公開!
合コンで勝てる座席がある?!彼の本音が部屋の中に現れている?!芸能界のアノ人たちも大絶賛する風水術が満載です。
風水芸人 出雲阿国の風水術
◆関連記事
【2016年後半*恋愛運】12星座の恋愛運を紐解く!
【2016年後半*金運】12星座の金運を紐解く!
【2016*後半*全体運】12星座から見る2016後半の運勢!
《2016年*後半》あなたが本当に気をつけるべきポイント辛口チェック!
夏の恋愛運アップネイル♡メディスンホイールと生まれ月のカラーを使おう☆
  • 蓮 朋龍

    「生きる」ことの意味や意義について運命学の観点から紐解くことを生業としております。おおよそは実経験から感じたことや学んだことを記事とさせて頂いておりますので、どこか共感できる部分などがありましたら、ご自身の人生の糧とされますことを願っております。

この記事を通報する

関連する記事

スポンサードリンク

この記事に関するキーワード

Close Up