あなたの常識は子供の常識に、両親の常識と社会の常識は決して同じではない

これを読んでいるあなたはもう自立され、自分の考えと行動の下、生活されている大人の方だと思います。しかし、あなたが長年培ってきた常識が本当は非常識だったとしたらどう思われますか?
あなたは常識という概念や考え方の根本を考え直さなければいけないかもしれません。

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常識とは正解ではなく身近にある一般論でしかない

  • 常識とは正解ではなく身近にある一般論でしかない
常識と聞いてまず思い浮かべることや思い付くことは何でしょうか?
誰もが当たり前のように考え、行動する物事や事柄など、当然の認識とされているものを考えられるかと思います。辞書などを調べても、「普通の人が持っている共通知識や共通認識」などと書かれています。ではこう考えられたことはないですか?

「なぜ共通した知識や認識があるにもかかわらず、人と人は揉めたりぶつかったりするのだろう?」

とてもシンプルな問いです。そうです。共通していることであればそのことに対して言い争ったり、戦ったりすることはあり得ないのですが、案外普通に生活をしているだけでも意見の食い違い、考え方や行動の不一致などで相容れない状態が続いているようなことが起こっております。それがいわば日常なのかもしれません。
本当に些細なことで、時には第三者が介入してみると、「あなたの考え方の方がおかしいよ」と諫められる場面も見受けられます。しかしこれも多数決になっているだけで、第三者の意見で更に食い違いが生まれていることにお気付きかと思います。

これらは正しいと思っていること、日常当たり前に実践していることについて、各々の考え方や意見を発している状態であり、言い換えれば各々にとっての常識が合っていないという状態が生まれているとも言えるわけです。
●それじゃ常識って何?
共通しているものを言うのだから、それは常識じゃないのでは?鋭いですが、これが人の持つ常識なのです。常識という言葉が定義されている中には、共通と書いてありますが、これは大多数派の意見と定義する方が正しく、少数派にとっては常識が常識ではなく感じているわけです。
要はあなたの常識はもしかしたら誰かにとって非常識と感じられるかもしれない。また誰かの常識はあなたにとって非常識と感じられるかもしれないということです。
それくらい明確ではないことに、あなたは思考や認識を委ねて生きている、また誰もがそうした常識と呼ばれるものに思考や認識を委ねて生きているのが現状なわけです。

あなたの持つ常識を正解だと思っているのは、もしかしたらあなただけかもしれないということをしっかりと認識しなければいけないわけで、その認識を持つことの方が常識的と言えるのかもしれません。
一般論という言葉もこの常識に捉われている言葉です。一般は全般でもなく絶対的な共通認識ではないわけです。それが理解できると、不用意に誰かと衝突したり、些細なことでぶつかることもなくなるでしょう。

あなたはその瞬間、「お互いに自分の常識を話しているだけなのだから、反対や否定をしても意味がない。」と考えられるわけです。
これは何が良くて何が悪いという可否や正誤を導き出すことではなく、「それもアリだし、これもアリ」という、寛容な姿勢を育むためにも重要なこととなります。この認識が変わるだけでこれからの世の中や社会、また身近な人間関係に対する見方は大きく変わることでしょう。

常識という言葉は万能ですが絶対は存在しません

  • 常識という言葉は万能ですが絶対は存在しません
常識という言葉の魔法は、強い権力と大義名分を笠に着て、自分の正義を貫こうとしているのと同じことです。

「その正義は本当に正しいのでしょうか?少しも疑いを持ってはいないのでしょうか?」

ではなぜ疑いを持つことができないのか。
それはあなたが生まれてから今の今まで育ってきた環境でしか、常識を学んでこなかったからでしょう。子供の頃の常識を学ぶために生きている空間は、大人に比べたら遥かに狭く小さいものです。その中のものでしか常識を学ぶ機会やきっかけがないのですから仕方ないことではありますが、その当時はそれが常識であり、それ以外のことは常識外(非常識)でしかないわけです。
そして大きくなるにつれて、社会生活を営んだり、結婚などにより共同生活が始まると、当然、生きている空間が広く大きくなるので、常識を学ぶ機会やきっかけは多くなります。そうすると今までは常識外(非常識)だったことを、受け入れ理解することで自分の常識として知恵が蓄積、あるいは書き換えができていくわけです。


「蓄積や書き換えができるのであれば、常識について衝突することはないのでは?」

はい。それがいつの時代でもできるのであれば世界は平和そのものでしょう。それでも些細なことでぶつかるのですからそう簡単なものでもないのが常識なのです。
常識の蓄積は、未知のことであり比較が無いのでまだ受け入れられますが、書き換えについては元々持っている知識や認識と比較する作業が必要となります。そしてもし元々持っている知識や認識に絶対的な信頼を置いていたとしたら、もうお分かりかと思いますがそれが常識の衝突となる原因となります。
人は長い期間、用いてきた知識や認識を優先しますし、特にそれが長い期間、トラブルも問題も起きなければ、尚更その知識や認識に強い自信を持つようになります。だから年を経れば経るほど、頑固と呼ばれるようになるのでしょう。
こうして言葉で説明させて頂く上ではとてもシンプルで簡単なものに感じられるかもしれません。しかし他人の常識を理解するため、自分の常識を根底から覆すようなことになったとしても、それを素直に心の底から自己訂正を行わなければならないわけですから、大人になればなるほどそう簡単にはいかないのが実情です。
だからここではあなたが培ってきた確固たるであろう常識が絶対の正解ではないということ。そして幼き頃、自然と何もかもを受け入れてこれたその姿勢を、再度確認され新しいことや未知のことへの素直な取り組みに、能動的であることが大切なんだと覚えておいて下さい。今はまだ何も手付かずかもしれませんが、そのうちそれが少しずつ理解できてくるようになるでしょう。

不平不満や拘りはあなたの常識から始まっている

  • 不平不満や拘りはあなたの常識から始まっている
あなたが個性やアイデンティティを形成する上で、常識とはとても大事なものではあります。
これがある程度確立できていなければ、却って優柔不断になってしまったり、自分のスタイルやキャラクター自体が不安定となるでしょう。そういう意味では何か信じているものに対して自信を持ち、それを個性として社会や世の中に発揮していくことは大事なことです。それ自体は否定はしません。

しかし、ここで改善を促したい状態というのは、あなたのその自信を持っていることを社会や世の中に発揮することで、誰かを傷付けたり、何かを壊したり崩したり、迷惑という形で広く影響を与える場合を言います。
当然、傷付いたと感じている人も自分の常識が邪魔をして傷付いたと感じているのかもしれませんし、迷惑だと感じている人も同様で、あなたの常識と相手の常識の食い違いから生まれているということは言うまでもありませんが、どちらかがその状態に気付き、譲るとか受け入れるということをしなければ収束しないのも常識の持つ特徴なわけです。
こうした場面での嫌な感情や不快な思いも、常識が災いしていますし、自分の正論を誇示してしまう拘りも、常識が招いている弊害に他ありません。
あなたらしさは誰かと戦うことでも、誰かを打ち負かすことでも、誰かより優位に立つことでもないわけで、本来はそうしたことを防ぐために社会が一般論化したものを常識というのかもしれませんが、本当に争わない対立しない社会を望むのであれば、常識に捉われない柔軟な姿勢が必要となります。それが人として学ばなければいけないことであり、それを学ぶためにあえて常識に溢れているこの社会に放り出されているのでしょう。

不平や不満の念はあなたの中から生み出されています。その根本があなたの常識にあることを知りましょう。確かに誰をもの常識がその原因となってはいるのですが、まずはその先駆けとして、この瞬間に気付かれたあなたが率先して変えていきましょう。

その常識は誰により培われたのですか?そこが答えです

  • その常識は誰により培われたのですか?そこが答えです
誰もが誰かに迷惑を掛けたいとも、傷付けたいとも思っていないはずです。それがあなたの常識にあることも理解できたかと思います。

●それではそのあなたの常識はどこから来たのでしょうか?
それは、あなたを育ててきたご両親にあります。あなたのご両親があなたに愛情と共に、自分たちが学び培ってきた常識を、あなたに教育という形で教え込んできたわけで、その知恵やルールがそのままあなたの常識として育まれてきたのです。もちろんあなたは家族の中で生活しているうちは、その常識が通用するので何も悩むことも無ければ、何もおかしいだなんて気付くこともないでしょう。しかし一歩、社会という外の世界に飛び出せば、もうその常識が常識ではなくなることに注意しなければなりません。

確かに一般論と呼ばれる物事の場合、大抵はその一般論で通用することもあるでしょう。それはご両親も一般論を常識として捉えていて、教えてくれている場合に限りますが、あなたのご両親も元を辿れば人の子です。ご両親も更にそのご両親、要はあなたの祖父や祖母から常識を学んできているわけで、そうした家系の流れで繋いでいる常識が、もしもどこかで一般論とズレていたとしたら、あなたのご両親の常識に100%の信頼を抱くことは、考えてみれば恐ろしことです。

まず常識に正解や正義はないということを前提とした場合、そうなるとご両親の教えについてもっと深く考えなければいけないわけです。何もご両親を責めているわけでもなく、ご両親の教えに疑心を抱きなさいということを言いたいのではなく、ご両親の教えに対しても、あなたが大人になって社会から多くを学ぶことがあれば、柔軟に対応できなければいけないということです。
●本当の柔軟とは?
本当の柔軟とは忍耐することでも我慢することでも、その場を凌ぐための処世術でもありません。誰かや何かを信じる、または信じたいと思うその根底に、あなたの良心や心根が正しくあるかどうかを見極める必要があると伝えたいわけです。人として素直で正しくあろうとすれば、争いほど無益なものはないと理解できるでしょうし、何かの常識にのみ深く傾倒することが、どれだけ危険なことかも理解できるかと思います。そのための柔軟について、常識をではなく、人としての良心や心根を養うことが大事なのです。それは多々ある常識を一蹴するのではなく、それらの常識もあなたの常識として捉え、何ものも否定的になったり批判的にならず、「こういう考え方もあるのか」と受け入れることが柔軟であるということなのです。

ご両親はあなたを一生懸命育ててきました。ご両親の常識を責めないで下さい。それもあなたの良心は望んでいません。あなたがただ正しく柔軟に生きることに徹することができれば、あなたは今よりもっと生きやすくなりますし、不平や不満とは無縁の生活を営むことができるでしょう。

常識の影響力はとても大きいですが、それを理解して柔軟になることで、更にとても大きい影響力が生まれるでしょう。その力を信じて歩まれていって欲しいと心から願います。
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  • 蓮 朋龍

    「生きる」ことの意味や意義について運命学の観点から紐解くことを生業としております。おおよそは実経験から感じたことや学んだことを記事とさせて頂いておりますので、どこか共感できる部分などがありましたら、ご自身の人生の糧とされますことを願っております。

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