わたしの価値観ってはかれるの?四柱推命から生まれつきの価値観を見る!

価値観は人の個性の一部を担っていますが、また大部分も占めています。あなたの個性が傷付けられないように守りもすれば、相手に認めさせる攻撃的要素も含まれています。ではこの価値観はどこから生まれてきたのか?そして変えることはできないのだろうか?四柱推命は人の運命の中で、この価値観がどういう役割を担っているのか紐解きます。

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価値観という偏見から生まれる自己防衛法

  • 価値観という偏見から生まれる自己防衛法
こういう状況が生まれることについてまず考えてみましょう。

・趣味趣向が異なる
・興味の向く物事が違う
・ある事柄に二つ以上の選択肢が生まれ、個々が求める選択や望む結果に相違がある
・一つの物事の理解について二人の感覚または認識の違いが影響し、二つの解釈が生まれてしまう

このように、明確に分かる・分からないに限らず何かが噛み合わない時に、その溝や差を埋めようとしないため起こるのでしょう。


では何故その溝や差を埋めないのでしょうか?
その場合、二通りのケースがあります。

1)埋めるつもりがない。
埋めるつもりがないというのは、自分の思考や信念、意志や行動の行方がハッキリと決まっていて、それを何があっても変えるつもりがないという確固たる自信に裏付けされている場合を言います。

2)埋め方が分からない。
埋め方が分からないというのは、自分と相手との溝や差、ギャップを少なからず理解できている状態ではあるが、何をどうしたらそれが埋まるのか?その方法や手段に戸惑っている場合を言います。

この二つの中でどちらが明確に価値観を持っていると思われますか?
恐らくほとんどの方が1番の「埋めるつもりがない」のみを選ばれていることと思います。しかし正確にはこの二つ共、明確に価値観を持っていて、その価値観で自らを守っている状態が窺えます。
1番の「埋めるつもりがない」は誰にも何にもブレることのない確固たる自己(自我)を一番に信じて行動される方なので、この方の価値観というものについて誰もが「この人は○○が好きだよな」とか「この人は○○が苦手らしいよ」とその方を十分推し量れる要素がたくさん見えます。これは紛れもなく価値観と呼べるでしょう。

2番の「埋め方が分からない」は、まずお互いの溝や差について理解はできているのに、それを埋めたくないとか埋めるための努力を惜しむ意識のある場合が多いでしょう。溝や差が理解できていれば自ずと埋めるための方法や手段は見えてきます。もし本当にそれが分からなかったとしても、相手があっての溝や差なので、その相手とコミュニケーションを通して模索することは十分可能なわけです。だから「分からない」のではなく「分かりたくない」「分かるつもりがない」というのが正しく、結局これもまた自己(自我)を信じて行動しているからこそ理解を深めるに至らないわけです。

価値観という言葉でどのようにでも自己(自我)を守れます。経験に裏付けされた成功や実績のある方もいらっしゃるでしょう。そうした方が価値観という立派な衣装を身に纏い、素晴らしく自らをプロデュースし演出されたとしても、それはあなたの経験則により作られた思考や情緒というフィルターに依るところが強く、そのフィルターを難なく通り抜けるものだけを取り入れて理解し、通らないものを受け入れず排除するというだけということなのです。
これはそうした立派な方に限らず、誰にでもありますし持ち合わせているものです。時にこれはあまりにも過ぎると「偏見」というレッテルを貼られることもあるでしょう。

あえて人生に山あり谷ありを望んで歩まれる方はいらっしゃらないでしょうし、またあえて苦しく辛い道を選んで進む方もいらっしゃらないと思います。それらを避けるべく経験は自分を安全圏より人生を臨めるようにと自己防衛の知恵を無意識にも育んでいきます。それが次第に価値観という鎧となりあなたを守っていこうとします。

あなたはとても素晴らしく頑丈で鉄壁な守りを手に入れました。しかしそれと同時にあなたは身動きの取れ難い状況を自ら生み出してしまいました。価値観があなたの更なる可能性への飛躍や成長を閉ざしてしまっていることに、まだ気付いていないのかもしれません。

とても苦しく生きにくいものが価値観

  • とても苦しく生きにくいものが価値観
人は歳を重ねるごとに知恵や洞察が深まっていきます。いわゆる「年の功」と言われるものです。人生を上手く渡り歩けるであろう知恵は時間と共に自然と身に付いていきます。それは個々の持つ理解力や物事の捉え方にもある程度の差は出るでしょうが、やはり時間経過の中で何を考えるか?が一番重要となります。経験していない物事が価値観に直接的に付加されることはないですが、その経験を避けることで憶測なりの苦手意識は価値観に自然と付加されます。こうした経験則が価値観を自然と作り上げ、時間経過と共に崩れ難い固さを極めていくのでしょう。

価値観というものにマイナス要素を考えるとしたら、個々に持つ価値観の内容や中身ではなく、その崩れ難い固さを極めていくという性質にあります。

たとえ価値観に付加されたものがポジティブでもネガティブでも構いません。それも一つの大事な経験です。ただ特にネガティブについてですが、それがどのようなことをしても払拭されるに至らないとか、単なる一つの経験と捉えられずその後の人生に影響が出るほどの強い苦手意識に繋がるのであれば、それは今後の人生の可能性を狭めてしまいます。

まずはあなた自身を深く知ること

  • まずはあなた自身を深く知ること
それではこれが固くならないようにするにはどうしたらよいのか?

成功体験による同じような経験の上書きであるとか、苦手意識と感じている物事に少しずつ良いイメージを関連付けていくなどは代表的な方法論だと思います。
しかし四柱推命という運命学の分野からあえてこの話題を取り上げて説明させて頂いている大きな意味があります。

元々、人はもっとシンプルな存在であり、価値観という定義付けに縛られて生きていく生き物ではないのに、いつの日か国家や社会という複雑な仕組みが生まれ、あるグループ分けされた特定の集団などに属すことに安心感や安定を覚え、それと同時に私と誰かを比較し同調することや否定することを知り、最終的にそれが自分のID(自我)を確立するための環境活動に至っているわけで、よくよく考えてみると、単に個々に自らの自由度を失わせてしまっているだけなのです。

運命学の本当の得意とするところは何も開運であるとか、吉凶という両極端の物事を推し量るものではなく、人には本来の生きやすさや暮らしやすさがあり、誰もが生きていく過程の中で人生を複雑化させてしまっていることに気付かせる必要があり、その理解に努めるべく個性そしてID(自我)を認識させるところにあります。


価値観というものを隠れ蓑にして人生の好まないことや目を背けたいことから逃げるのは簡単です。しかしそれが却ってあなたの価値観を凝り固めてしまっては、本来のあなたに出会わずして人生を終えてしまうことにもなりかねないでしょう。

全ての方々が今この世に表している個性や可能性はほんの一部であり、氷山の一角でしかないでしょう。
何をどうするのか?溝や差をどうするべきか?その考え方自体が価値観に縛られている証拠ですから、そうした設問用紙は裏返しにして、そして答案用紙も枠に従わず自由に絵でも書いてみましょう。

できることはしてみるべきです。できないこともしてみるべきです。
運命は価値観などというものを要求していません。もっと広い視野と自由な発想で人生を描かれてみられると良いでしょう。
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  • 蓮 朋龍

    「生きる」ことの意味や意義について運命学の観点から紐解くことを生業としております。おおよそは実経験から感じたことや学んだことを記事とさせて頂いておりますので、どこか共感できる部分などがありましたら、ご自身の人生の糧とされますことを願っております。

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